さて、アイルトン・セナ選手とニコ・ロズベルグ選手、どっちが強い?(3回目)
またしても大分間があいてしまいました。いや、あいてしまったどころじゃなくて、既に2017年F1シーズンが始まってしまいました。(^_^;; でもまぁ乗りかかった船なので(?)、フジテレビのCS放送におけるF1関連オフシーズン番組、「F1 LEGENDS 19XX」に勝手に相乗りした妄想企画。今回は1991年を取り上げてみました。
1991年はアイルトン・セナ選手が年間チャンピオンを獲った最後の年。そしてネルソン・ピケ選手や中嶋悟選手らがこのシーズンを最後にF1を去りました。一方、これから後のF1界を席巻することになるミハエル・シューマッハ選手とミカ・ハッキネン選手がデビューを飾った年でもあり、今にして思えば大きな世代交代のうねりが押し寄せてきたシーズンでした。コンストラクターズではマクラーレン・ホンダが王座を守る一方、「荒法師」ナイジェル・マンセル選手が移籍したウイリアムズ・ルノーが肉薄しました。また、ゲイリー・アンダーソンの手になるマシン「191」を引っ提げて参戦を果たしたジョーダングランプリが大活躍。アンドレア・デ・チェザリス選手がそれまでの「壊し屋」のイメージを払しょくする堅実な走りで新興チームを引っ張りました。また、同じくジョーダンでようやく陽の目を見た苦労人、ベルトラン・ガショー選手が、フランスでは合法な催涙ガスをイギリスでタクシーとのトラブルの際に使ったら実はそれがイギリスでは違法。プラス過剰防衛のかどで収監されてしまうという大変な事態も起こりました。そうして空いたジョーダンのシートに座ったのがミハエル・シューマッハ選手…。彼は初参戦のベルギーGPでいきなり予選7位を獲得。次戦で早くもベネトンに抜擢され、めきめきと頭角を顕して行くこととなります。その陰で、ベネトンのシートを追われたのがロベルト・モレノ選手。ぼくが大好きな選手の一人だったので、当時はシューマッハ選手が嫌いでした。(^_^;;;
そんな1991シーズン、今回フジテレビで再放送されたのは第2戦ブラジルGP。この選択は納得。それまで数々の栄冠を手にしながら母国GPで勝利できなかったセナ選手。このレースでトップチェッカーを受けた後、突然のスコール、そして号泣するセナ選手の姿が感動を呼びました。しかもレース終盤にはセナ選手のマシンは6速以外のギアを失った状態でありながら、ウイリアムズのリカルド・パトレーゼ選手の猛追を振り切っての勝利。セナ選手の気迫が強い印象を残しました。
ともあれ、今回も例によって1991年シーズンに今季のポイントシステムを当てはめたらどうなるか調べてみました。1991シーズンの成績表を見て、現在のポイントシステム(1位~10位まで、25-18-15-12-10-8-6-4-2-1ポイントを付与)に従って点数を割り振るという簡単なやり方です。
ドライバー | チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 得点 | 実順位 | |
1 | ?A.セナ | マクラーレン | 25 | 25 | 25 | 25 | 15 | 15 | 12 | 6 | 25 | 25 | 18 | 18 | 10 | 18 | 12.5 | 274.5 | 1 | |
2 | N.マンセル | ウイリアムズ | 18 | 8 | 18 | 25 | 25 | 25 | 18 | 25 | 25 | 9 | 196 | 2 | ||||||
3 | R.パトレーゼ | ウイリアムズ | 18 | 15 | 25 | 10 | 18 | 15 | 10 | 25 | 15 | 15 | 5 | 171 | 3 | |||||
4 | G.ベルガー | マクラーレン | 15 | 18 | 18 | 12 | 12 | 18 | 12 | 25 | 7.5 | 137.5 | 4 | |||||||
5 | A.プロスト | フェラーリ | 18 | 12 | 10 | 18 | 15 | 15 | 18 | 12 | 118 | 5 | ||||||||
6 | N.ピケ | ベネトン | 15 | 10 | 25 | 4 | 10 | 15 | 8 | 10 | 6 | 6 | 109 | 6 | ||||||
7 | J.アレジ | フェラーリ | 8 | 15 | 12 | 15 | 10 | 15 | 12 | 87 | 7 | |||||||||
8 | A.D.チェザリス | ジョーダン | 12 | 12 | 8 | 10 | 6 | 6 | 4 | 2 | 60 | 9 | ||||||||
9 | R.モレノ | ベネトン/ ジョーダン |
6 | 12 | 10 | 4 | 4 | 12 | 1 | 49 | 10 | |||||||||
10 | S.モデナ | ティレル | 12 | 18 | 6 | 8 | 0.5 | 44.5 | 8 | |||||||||||
11 | P.L.マルティニ | ミナルディ | 2 | 12 | 6 | 2 | 2 | 12 | 36 | 11 | ||||||||||
12 | B.ガショー | ジョーダン | 1 | 4 | 10 | 8 | 8 | 2 | 33 | 13 | ||||||||||
13 | M.シューマッハ | ベネトン | 10 | 8 | 8 | 26 | 14 | |||||||||||||
14 | M.グージェルミン | レイトンハウス | 6 | 6 | 6 | 4 | 22 | 25 | ||||||||||||
15 | T.ブーツェン | リジェ | 1 | 6 | 6 | 4 | 2 | 2 | 21 | 26 | ||||||||||
16 | E.ピロ | ダラーラ | 8 | 2 | 1 | 1 | 4 | 1 | 3 | 20 | 18 | |||||||||
17 | J.J.レート | ダラーラ | 15 | 4 | 19 | 12 | ||||||||||||||
18 | J.モルビデリ | ミナルディ/ フェラーリ |
4 | 6 | 2 | 2 | 4 | 18 | 24 | |||||||||||
19 | 中嶋悟 | ティレル | 10 | 1 | 4 | 15 | 15 | |||||||||||||
20 | M.ハッキネン | ロータス | 2 | 10 | 2 | 14 | 16 | |||||||||||||
21 | M.ブランドル | ブラバム | 2 | 1 | 10 | 13 | 17 | |||||||||||||
22 | M.ブランデル | ブラバム | 4 | 8 | 12 | 19 | ||||||||||||||
23 | I.カペリ | レイトンハウス | 8 | 4 | 12 | 20 | ||||||||||||||
24 | E.ベルナール | ローラ | 2 | 8 | 10 | 21 | ||||||||||||||
25 | 鈴木亜久里 | ローラ | 8 | 8 | 22 | |||||||||||||||
26 | J.ベイリー | ロータス | 8 | 8 | 23 | |||||||||||||||
27 | J.ハーバート | ロータス | 1 | 1 | 6 | 8 | 27 | |||||||||||||
28 | E.コマス | リジェ | 1 | 1 | 4 | 1 | 7 | 29 | ||||||||||||
29 | N.ラリーニ | モデナ | 6 | 6 | 28 | |||||||||||||||
30 | G.タルキーニ | AGS | 4 | 4 | 30 | |||||||||||||||
31 | A.ザナルディ | ジョーダン | 2 | 1 | 3 | 31 | ||||||||||||||
32 | E.V.D.ポール | モデナ | 2 | 2 | 32 | |||||||||||||||
33 | A.カフィ | アロウズ | 1 | 1 | 33 | |||||||||||||||
34 | O.グルイヤール | フォンドメタル | 1 | 1 | 34 |
灰色に塗りつぶした部分は、その選手がそのレースに出場していないことを示しています。また、今回は表の右端に1991年の実際の順位をつけました。第16戦オーストラリアGPのポイントに端数が出ているのは、雨のため規定周回数の75%未満でレースを終了したためです。
今回出した順位と実順位を比較してみると、M.グージェルミン選手やT.ブーツェン選手など、着実な走りを見せるドライバーが実順位よりも上位に来ていることがわかります。より下位にまでポイントを付与することで、当時は切り捨てられていた7位以下のポジションに光が当たった格好になります。逆に一発屋タイプの人は、比較的下位に甘んじています。
この年はやっぱり、モレノ選手の不遇が印象に残ります。前年アレッサンドロ・ナニーニ選手のヘリコプター事故による負傷でベネトンに抜擢された第15戦日本GPでいきなり2位表彰台、この年も比較的コンスタントに成績を残していたのに超新星・シューマッハ選手にシートを奪われ、入れ替わる形で入ったジョーダンのシートもわずか2戦で失って、最終戦にはミナルディ・フェラーリのジャンニ・モルビデリ選手がフェラーリのシートに座った穴を埋める形でミナルディのステアリングを握っています。都合3つのチームを渡り歩く結果となりましたが、翌年のアンドレア・モーダに比べればまだ100倍マシだったかもしれません…。(>_<)
ともあれ、今回も比較のために昨年のポイントランキング×16/21の表を以下に再掲してみます。
2016年ポイントランキング×16/21
?ドライバー | チーム | 得点 | |
1 | N.ロズベルグ | メルセデス | 293 |
2 | L.ハミルトン | メルセデス | 290 |
3 | D.リカルド | レッドブル | 195 |
4 | S.ベッテル | フェラーリ | 162 |
5 | M.フェルスタッペン | レッドブル | 155 |
6 | K.ライコネン | フェラーリ | 142 |
7 | S.ペレス | フォースインディア | 75 |
8 | V.ボッタス | ウイリアムズ | 63 |
9 | N.ヒュルケンベルグ | フォースインディア | 56 |
10 | F.アロンソ | マクラーレン | 41 |
11 | F.マッサ | ウイリアムズ | 40 |
12 | C.サインツJr. | トロロッソ | 34 |
13 | R.グロージャン | ハース | 22 |
14 | D.クビアト | トロロッソ | 19 |
15 | J.バトン | マクラーレン | 16 |
16 | K.マグヌッセン | ルノー | 5 |
17 | F.ナッセ | ザウバー | 2 |
18 | P.ウェーレイン | マノー | 1 |
19 | J.パーマー | ルノー | 1 |
20 | S.バンドーン | マクラーレン | 1 |
1991年はセナ選手がただ一人、昨シーズンのロズベルグ選手・ハミルトン選手レベルの戦績を残しています。ウイリアムズもかなり力をつけてはきたもののやはり昨シーズンのリカルド選手・ベッテル選手くらいの立ち位置。その割にマンセル選手が5勝を挙げているのは凄い!いや、逆に好不調の波が大きすぎたと言うべきかな?次に、コンストラクターズの上位5チームを並べてみましょう。こちらも2016年の方は、得点を16/21にしてあります。
1991年 | 2016年×16/21 | |||
チーム | 得点 | チーム | 得点 | |
1 | マクラーレン | 412 | メルセデス | 583 |
2 | ウイリアムズ | 367 | レッドブル | 357 |
3 | フェラーリ | 209 | フェラーリ | 303 |
4 | ベネトン | 183 | フォースインディア | 132 |
5 | ジョーダン | 97 | ウイリアムズ | 105 |
初参戦ジョーダンの5位は素晴らしい。鮮やかな緑色のマシン、強く印象に残っています。そして3位には入っていますが、フェラーリの退潮が著しいですね。プロスト選手は結局この年は未勝利。チームに対する度重なる物言いが上層部の逆鱗に触れ、最終戦を前に解雇されてしまうという、何とも大変なシーズンとなりました。
というわけで、妄想F1比較の第五弾でした。フジテレビNEXTの「F1 LEGENDS 19XX」、第6回は1992年モナコGPです。おぉ…。開幕から連勝街道を突っ走っていたウイリアムズのマンセル選手に対してマクラーレンのセナ選手が一矢を報いたレースですね。まぁレギュラーシーズンが始まっていますが、こちらの妄想企画ものんびり続けて行きたいと思います。